教育論

先生はなぜ「トイレじゃない」のか

こんにちは~!六中高谷専門、藤原塾です~!

最近、「藤原塾」で検索したら、
グーグル検索の一番上になっていることに気づきました。
うれしいですね。

まあ、その上に塾の広告が5件ぐらい出るんですけど!

一度調べたことがありますけど、この広告って結構高いんですよね。
その分の費用が授業料にのしかかってると思うと、
やはり大手はあれぐらい取らないとやっていけないんでしょうね。

さて今回、塾の様子はほぼ書かないです。

先生はトイレじゃない話。

生徒「先生~トイレ!」

先生「先生はトイレじゃありません!」

お決まりの問答。
先生がトイレじゃないというのは、教育上ものすごく大切な観点があります。

「先生、トイレ」の場合

正確に言うなら、
「先生、僕はトイレに行きたいのですが、許可を頂いてよろしいでしょうか。」

ですかね。

物事には文脈がありますから、
「先生、トイレに行っていいですか。」
ぐらいで伝わります。

それで言えば、「先生、トイレ」でももちろん教師には伝わっています。
でも先生は「先生はトイレじゃない」と返します。
嫌がらせ?いいえ、違います。

主述の関係

文章は述語が無いと成立しません。
また、主語を明確にしないと伝わりにくい。

そして、主語と述語は対応していなくてはいけません。

「私の夢は、サッカー選手になってワールドカップで優勝して、億万長者になってスポーツカーに乗って世界一周したいです。」

よくある文法の間違い。わかりますか?
×世界一周したいです。
○世界一周することです。

文を切るのが苦手なので、1文がどんどん長くなる
長くなるほど、主語が薄れて、述語と対応しなくなります。

なぜ文を切れないのかというと、
普段は単語しか発していないからです。

言語教育は察しが良くてはいけない

日本語のコミュニケーション能力、
特に「伝達力」「文構成力」を養うためには、

助詞(いわゆる「てにをは」)を使いこなせること、
主述と目的語をはっきりさせること

が必要です。

御家庭で、
「お母さん、ごはん」

と言われたら、どうでしょうか。

ついつい
「もう少しでできるから、待ってて」
と答えてしまうでしょう。

これを繰り返した結果、
子どもにとって、「お母さん」+「ごはん」という単語を発すると、
食事が出てくるという夢の呪文が完成していしまいます。

もっとひどいと、すわってるだけで食事が出てきたり。
魔法ですね。

伝わらないと認識させる。

私は子供が提出物をもって私の前に立っても、声をかけません。
座席を探してオロオロしているそぶりをしても助けません。
鞄の中からテキストを探すそぶりをしながら首をかしげていてもです。
先生!気づいて!というオーラに気づかないふりをします。

ひどい話です。

助けが来ないので言いに来た時に、
それまでずっと見ていたことを教えます。

「先生、宿題です。」
と、宿題を渡して来たら、
「食べればいい?」
と返しますし、

「この問題わかりません」
と言われたら、
「え、わかるよ?」
と返します。

いやな奴です。
嫌がらせ、ではありません。

人の能力は、必要が無ければ成長しません
だから、とびきり察しの悪い人間を演じます

御家庭でやるとどうなるか

「お母さん、ごはん」

次はこういってあげてみてください。

「えっ!?ご飯作ってくれるの?まあ、なんていい子なんでしょう。こんなやさしい子に育ってくれてとてもうれしい!!」

もちろんこんなに察しが悪ければ子供はイライラするでしょう。
お腹もすいてますしね(笑)

ご家庭ではある程度の「ツーカー」の仲ですからね。
実際はこんなことやってられないでしょう。

ただ、こっちがあまりに察しが良すぎると、
子どものコミュニケーション力は下がるというのは
知っておいても損はないと思います。
恐らく「子供が国語を苦手にしていて・・・」というご家庭なら、
上の話で思い当たるフシがあるかと思います。

教育現場では「ツーカー」を求めてはいけませんから
もちろん、
「先生はトイレじゃない」
と、いうわけですね。

まあ、そんなわけで国語の能力は
日常の会話から作られていく、という話でした。