教育論

勉強・教育に関して個人的に思っているいくつかのこと

市川田尻藤原塾

今回は私が教育に関して個人的に思っていることを書こうと思います。

私個人がそう思っているからと言って、ご家庭や生徒にそれを押し付けるつもりはありません。
「ああ、そういう考えなんだな」とでも思ってもらい、
教育の一助にでもなればというだけの小咄です。

 

子供の学習姿勢を変えることは可能か

誤解を恐れず言うなら、私はNOだと思います。

叱ったり、拘束したりすれば表面上の取り組みを変えることはできます。
ただ、学習姿勢にかかわらず、子供のあらゆることをこちらがコントロールすることは不可能です。
子供が変わったというのならば、それは子供が勝手に変わっただけです。

では何をしてもムダなのか、というと、そうではありません。

我々が子供に対してできるのは、「種をまくこと」です。
その種が花となるかは、子供次第なので、大人がコントロールできるものではありません。

気持ちはわかりますが、コントロールできないものに対して、イライラしていても仕方ありません。
雨が降ることに対してムカついているようなものです。

子供を変えようとするのではなく、子供への自分のアプローチを変えてみるべきです。
自分がどうするかだけは、変えることができるからです。

例えば宿題ができない子供に対してできるのは
・叱ってみる
・一緒にやってみる
・取り組む時間を用意する
・もので釣る
・頑張り表などで達成感をあおる
・携帯没収などペナルティを貸す
・ほったらかしてみる
・終わるまで帰ってくるなと塾にブチ込む

ぱっと思いつくだけでも色々あるものですね。
そして嫌々でもなんとかやり切った子供に対してのアプローチも、色々ありますからね。
それでも最初に言ったように、宿題ができる子になるかどうかは、子供次第です。

ゲームは学力を下げるか

私はNOだと思います。

男の子に顕著ですが、ゲームが好きな子のほうが勉強の理解が早い傾向があります。

塾業界あるあるなんですが、
塾の先生はかなりの割合でゲーム好きです。

ゲームの種類にもよるんですが、
「A列車で行こう」のように、街づくりを楽しむ「シミュレーションゲーム」
今の子なら「マイクラ」というほうがピンときますかね。
こういったゲームは「ルールの理解」ができる子供しか楽しめません。
勉強とはルールを理解し、うまく活用することに他なりません。

また「ドラゴンクエスト」のように仲間を育てて敵を倒す「ロールプレイングゲーム」
これは、レベル上げという「地道な作業」に耐えて強くしていく喜びを味わうものです。
刹那的な快・不快を優先する子は嫌います。

特に前者のようなゲームを好む子供は、勉強ができる子が多いと思っています。
「スマブラ」「FPS」のような「格闘アクションゲーム」になってくると、
どちらかというと頭を使う要素が減ってきます。
頭を使うゲームのほうが気持ちよく勝てる子は、格闘ゲームはあまり好みませんね。

ただ、いずれにせよこれらのゲームは、脳を働かせ、集中していなければできないものです。
勉強に近いこれらをやることで勉強ができなくなるはずがありません。
ゲームをやらないとバカになるなんてことはもちろんないですが。

ではなぜ悪とされやすいのか、というならば、
勉強をするべき時間にゲームをするからです。

当たり前ですよね。

よく、「ゲームは1日1時間まで」という言葉を耳にしますが、
あれは、視力など健康上の話として言っているのであって、
ゲームを1時間以上すると学力が低下するわけではないでしょう。

健康を度外視するならば、ゲームの時間に制限をするのではなく、
「家庭学習は1日1時間以上」とでもするべきでしょう。
時間より、ページ数がいいと思いますが。

ノルマを達成してからゲームを認めればいいと思います。

私はどちらかというと、「YOUTUBE」や「テレビ」、「SNS」の方が気になります。
動画を「見るだけ」で楽しめるので、
「ルールの理解」が不要で、より「刹那的」に快感を得られるツールだからです。

昔のテレビは、子供が見れる番組に限りがありましたが、
今YOUTUBEによって実質無限に見続けることができるんですよね。
便利で私も使いますが、YOUTUBEはゲームよりヤバいと思っています。

ゲームに制限をかけるのも自由ですが、スマホそのものに制限がかかっていないと無意味でしょう。

読書は必要か

私は概ねYESと考えます。

ただ、先に言うならば、読書をすれば国語の点数が上がるか、といえばNOに近いと思います。
読書は知識の獲得ツールです。
知らない言葉、知らない知識を獲得していく喜びを感じられる、すばらしいものです。

先ほど「ゲームを好む子は勉強ができる傾向にある」と言いましたが、
言うまでもなく、「読書を好む子の方がより勉強できる傾向にある」といえます。

読書は非常に集中力を要するツールです。
特に、現代では動画技術が向上していますから、
読書をすることが苦行になっている子は多いでしょうね。
総じて文を読む集中力に欠けます。

私が読書を必要と考える理由は、「勉強」のためではなく、
「幸せに生きていく」ためです。
情報は力です。知っているということは人生を豊かにしてくれるチャンスを見つけやすくなります。
人から騙されにくくもなります。
ですから別に、本という形である必要はないです。
ネットでコラムやブログを見ることでも知識は得られます。
ただ、子供にとっては情報の信用度を推し量るのが難しいですからね。
ネットよりは本が信用できるでしょう。

知能は生まれつきの要因が大きいか

YES・・・です。一応。

アメリカの研究の中で、1970年代にはすでに双生児研究において、
「知能の遺伝率は80%である」との結果が示されています。

ただ、「他の要因が20%に過ぎないのならば、努力にはあまり意味がない」
とするのは早計です。

この研究はアメリカで行われたわけですが、
アメリカならば国土の広さ、経済の格差、そして人種の違いといった様々な要因が遺伝に大きな影響を与えているといえます。

それに対し、日本という狭い国土、格差がないとは言わずとも全体的に高い教育水準、ほぼ単一に近い人種

つまり、日本では遺伝的要因のテーブルにそこまで違いがありません。
この研究を行ったジェンセンは、学力とは
「遺伝的要因×環境」である、と提示しました。
環境とは、生まれてから得た経験全てを指しますから、
「2倍学べば2倍の差がつく」、ということでもあります。

それに生まれつきの力は自分でコントロールできませんからね。
自分で変えられることに集中するのが良いですよね。

同じことをして同じ結果になれずとも、
それに近しいところまでは行けると信じていなければ、そもそも塾講師なんてやってません。

誰にとっても勉強は必要か

概ね、YESと考えます。

勉強とは、「可能性を広げる」ツールです。

これは生徒にもよく言うのですが、
「仕事にそこまで興味ない。普通の幸せがあればいい。自分の時間、趣味の時間、家族友人との時間を大切にしたい。」

と考える人にこそ、勉強を大いにオススメしたいのです。

よほどのことがなければ、人は働かなくてはいけません。
「仕事に打ち込むより、給料が少なくても定時に帰れるホワイトな仕事がいい」と、
中学生なら結構な割合が考えたことはあるでしょう。

勉強をせず、そういった生活は、まあまず簡単に手に入りません。

お給料とは、その人が生み出した利益の一部から支払われます。
つまり、生み出す利益(生産性)が高いほど、お給料が増えます。

勉強で戦わずに就く仕事は、基本的に生産性があまり高くはありません。
ですので、「最低限の生活」でも長い時間働かなくてはいけません。
そもそも、中学生の考える「最低限の生活」はめっちゃ上の人の生活です。

一方、生産性の高い仕事の多くが、勉強を頑張った人たちによって占められています。
彼らは、同じぐらい働いてとびきり高い給料を得ることもできますが、
給料のかわりに休みを増やして、のんびり生活することもできます。

代表的な例が「みずほ銀行」にあります。
銀行で働く人は、大体上位の私立か国立大出身者です。
大学のレベルが低いと書類審査で落ちます。

このみずほ銀行の職員は普通、週5日働いているわけですが、
給料を6割にするかわり、週3日しか働かなくていい
という制度があります。

普通、給料が6割になってしまったら、生きていくのは大変です。
しかし銀行の職員はエリートですから、もともとの給料が高い。
6割でも平均的な給料と同じぐらいはもらえます。
そうやって、週4日も休みをもらって、自分の好きなことに時間を使うことができるわけです。

この働き方は、生産性の高い仕事にしか許されませんが。増えてくると考えられています。
こういった仕事に、例えば30歳になってからやりたい!といっても、雇ってもらえません。

中学生・高校生のうちにたくさん勉強して、上位の大学に通う人にしか許されていない道なのです。
つまり、中高生は、ハッピーな生活を手に入れるための「ボーナス期間」なんですよね。
ポイント20倍セールって感じです。
だから大人は子供のうちにこそ努力するべきだと言っているわけですね。
もちろん、いい大学に行けばハッピーな生活が約束されているわけではありませんが、
その可能性はグッと上がってくるというわけです。

勉強はそのものが楽しいという人もいますが、
そういったチャンスを引き寄せるためにこそあると、個人的には思っています。